みなさんこんにちは。
2022年6月15日の「世界ワールド極限ミステリー」で、アナタハン事件が取り上げられます。
そこでこの事件の内容を詳しく調べてみました。
- アナタハン島で起きた事件のネタバレ
- アナタハン島事件の詳細
- 比嘉和子や今は?
これらを確認します。
アナタハン島で起きた事件のネタバレ
アナタハン島事件は比嘉和子と比嘉菊一郎の2人が大きく関わっています!
比嘉菊一郎:国策会社の上司
比嘉和子:国策会社の部下の妻
アナタハン島とは現在、アメリカ領の太平洋西部サイパンの北117kmにある小さい島です。

この事件は第二次世界大戦末期の出来事です。
当時、アナタハン島には日本の戦争を支える為に南洋興発社員と家族、軍事関係者31名の男性と地元民が住んでいました。
アナタハン島はアメリカからの爆撃され最終的には比嘉和子と比嘉菊一郎、軍人31名が島へ残る事になります。
島に女性が1人しかいない事が原因で、島では女性を奪い合う事件が多発。しかし、比嘉菊一郎の変死を切っ掛けに、比嘉和子に関わった男性が次々と亡くなり、島の13人が最終的に死亡した事件とでした。
アナタハン事件の詳細
アナタハン島は、サイパンから北へ約117kmにある東西約12km、南北約4kmの火山島です。当時、アナタハン島では日本の国策会社が経営する農園を運営していました。
この事件で登場する人物は大きく分けると4種類!
- 国策会社社員の妻:比嘉和子
- 国策会社社員の上司:比嘉菊一郎
- 軍人男性31人
- 地元民
アナタハン島爆撃
1944年6月に米軍が日本の「絶対的国防圏」であったアナタハン島周辺を爆撃しました。
その時、島には元からいる地元民10人、国営会社に働く比嘉菊一郎(上司)と、その部下の妻・比嘉和子(24歳)、軍人31人(10代~20代)しかいませんでした。
比嘉菊一郎と比嘉和子は沖縄出身で、その妻や子、夫は島を離れていました。
比嘉和子の夫・正一は、近くのパガン島に住んでいた妹を心配して様子を見に行き、その後、行方がわからなくなりました。
アナタハン島の暮らし
軍人たちは数人のグループを作って暮らし始め、比嘉菊一郎と比嘉和子も最初は軍人たちと離れて生活をしていました。しかし、その後お互いに打ち解けていき、共同生活をすることになります。
そんな中、最年長の男が、菊一郎と和子に夫婦になるように提案しました。和子が誰かの妻になれば和子をめぐって争いが起きないだろうと考えたためです。
この島はバナナやパパイヤなど食物には困りませんでしたが、洋服がなく、木の皮の腰みのをつけていただけなので、若い女性1人は狙われると考えられていたのでしょう。
第二次世界大戦敗戦

日本は1945年8月に第二次世界大戦の敗戦国となりましたが、当時アナタハン島に住んでいた比嘉菊一郎と比嘉和子、軍人達はこの敗戦を知らず、米軍からの投降呼びかけにも応じませんでした。
原住民は島を離れ採取的には日本人だけが残りました。
菊一郎と和子は夫婦になり、結婚式をあげて軍人たちから離れたところで暮らし始めました。
拳銃による支配
ある時、軍人2名が米軍機が事故で島に墜落した兵士が持っていた拳銃と銃弾70発を手に入れました。
男たち2人が集団で力を持ち、この後すぐ、二人と中が悪かった男が死体で発見されました。
そして、比嘉和子をめぐる闘争に発展。彼女につきまとう男性が次々に射殺されました。夫婦として過ごしていた比嘉菊一郎も変死として見つかりました。
比嘉和子と不審死
銃は持ち主が代わっていきましたが、比嘉和子に関わる男たちは次々に亡くなりました。
31人いた男性は後に19人まで減っており、そのため、男たちはその銃を海の中へ捨てることで合意します。しかし、銃がなくなっても比嘉和子に関わる男性が亡くなりました。
原因は比嘉和子?
男たちは話し合いの結果、比嘉和子が怪しいと決めつけ、処刑することにします。
しかし、その夜に一人の男が比嘉和子に危険をリークした事により、彼女はジャングルへ逃げ込み1ヶ月ほど潜伏した後、沖に停泊していたアメリカの船を見つけ投降しました。
アメリカへの投降
比嘉和子は木に登り、布を振って残りの男性達に船に存在を知らせますが、男たちは敗戦を信じていなかったため出てきませんでした。
比嘉和子はアメリカ軍に保護され、1950年8月に日本に帰国。和子の初めの夫の正一は沖縄に住んでいました。
米軍は島にいる男たちの家族に一筆かかせたものを島に撒き、男たちはついに敗戦を受け入れて島から投降しました。
それは和子が帰国してから1年後のことでした。日本に帰国した男たちは全員が泣いていたということです。
比嘉和子と夫の今は?
その後について興味がある方は以下の記事をご覧下さい。

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